誰がための日々
解説

映画を見終わった後、どんな言葉で表現していいのか一瞬言葉が出てこないぐらい観客を圧倒する重々しいこの作品は、撮影当時20代後半の香港の新人監督ウォン・ジョン(黄進)が撮った長編第1作目である。2013年3月、香港政府機関である商務及経済発展局が香港の新人発掘を目的に試験的に企画し、電影発展局が企画を支持、基金を設立した「首部劇情電影計劃」の第1回受賞企画となった本作は、計画の目的を見事に達したと言える。2017年香港金像奨で8部門ノミネート(主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞/エレイン・ジン、助演女優賞/シャーメイン・フォン、監督賞、新人監督賞、脚本賞、音楽賞)、結果助演男優賞、助演女優賞、新人監督賞を受賞。台湾金馬奨では助演女優賞と新人監督賞を受賞、大阪アジアン映画祭ではグランプリを獲得し、一躍アジアで注目される香港の監督となったからだ。

photo物語は、ショーン・ユー演じるトンが1年間の精神科病院での入院生活を終えるところから始まる。会社を辞め1人で母の介護をしていたトン。弟はアメリカに行ったきり戻らず、父はお金を入れるだけで家には寄り付かなかった。母は傍にいるトンに辛く当たるしか術がない。でもトンは母を施設には入れたくなかった。結果、介護うつになり、ある事故を起こして最愛の母を死なせてしまう。裁判は無罪、しかし躁鬱病で措置入院させられる。「家族の支えが必要」と医者から言われ、父が迎えにくる。母の居た部屋を解約し、狭い父の部屋で2人は暮らし始める。母を見捨て家から逃げていた父を恨むトン、久しぶりに会う病気の息子をどうしていいか分からず、知らぬ間に家族を傷つけたと悔やむ父。事件や病気に対する周囲の偏見と誤解、差別と向き合う内に、理解し合えなかった父子を、次第に結びつけていく。脚本家のフローレンス・チャンは、実際に香港でエリートの青年が両親を殺してしまった事件にインスパイアされて、このオリジナル脚本を書いている。

photo製作費は200万香港ドル(日本円で約3000万円)、16日間で撮影した。主演のショーン・ユーとエリック・ツァンは、脚本を読んで出演を快諾。報酬に関係なく出演を決定している。ショーンとエリックの顔ぶれは、日本では「インファナル・アフェア」での共演が印象的だろう。またショーンはパン・ホーチョン監督作品「恋の紫煙」シリーズ(東京国際映画祭、大阪アジアン映画祭で上映)が、熱狂的な支持を受けている。エリックは、俳優として様々な作品に出演しながら、香港の新人への支援を惜しまず、本作によってウディネ・ファーイースト映画祭、ニューヨークアジア映画祭で生涯功労賞を受賞している。

父子が久しぶりに再会し一緒に暮らす家は、以前から父が住んでいた劏房(トンフォン)である。住宅費が高い香港らしいこの住居は、古い建物の中に多く見られる。ひとつのフロアをいくつかに区切って作った部屋に、2段ベッドと生活用品が置いてある。本作の部屋は共同のトイレとシャワーで、劇中には「住めば都。窓があって眺めがいい。テーブルをどかせば広くなって、(その広さは自分の足で)2歩だ」というエリック・ツァンのセリフがあるが、そのセリフからも狭さが分る。この主人公たちの心情を反映するような狭い空間で、物語は展開する。

photo原題のタイトル「一念無明」は、「大乗起信論」の注釈書の中にある、中国仏教では有名な一節「一念無明生三細、境界為縁長六粗(一たび無明を念ずれば三細生じ、境界は縁と為りて六粗を長ず)」から取られており、真理に暗いと余計な煩悩に悩まされる、というような意味である。本来、人は希望の中で歩み、生きているはずである。辛い日々を過ごしていると思った時、少し考え方を変え見る方向が違えば、もっと違うものが目に入り、もっと違う人生に気づくかもしれない。それは自分だけでなく、周囲の人々を見る時も同様なのだ。

1997年7月1日のイギリスから中国へ返還された香港は、大陸との関係に様々に揺れてきた。トンの部屋の隣の母子は、母は大陸出身のため香港の居住証がなく、香港で生まれた息子は大陸のIDがない。母は貧乏から抜け出すために、勉強しろと口癖のように言う。ホイは大陸と香港をトラックで往復していたが、80年代は景気が良かったとつぶやく。住居のメンバーには、インド系の広東語を話す住人がいる。スクリーンには少しずつ返還後の香港の市井の人々の暮らしが映し出されている。本作が地元香港での公開時に220万USドル(日本円で2億5千万円)という大ヒットを記録した理由は、自分たちの身近な話題に目を向け、今いる居場所からどう生きていくのかを提示したからかもしれない。

2019年2月2日(土)新宿K's cinema 他順次公開
配給:スノーフレイク ©Mad World Limited